- 1853年
(ペリー浦賀来航)

- ヘンリー・ワイルマンはジョン・ナイト経営のフォリー陶器製造の共同経営者として加わる。3年後ジョン・ナイトはフォリー陶器製造から退き、ワイルマンが引き継ぐ。
1860年
(桜田門外の変)
- ワイルマンはフォリー陶器製造の隣にフォリーチャイナワークスという陶器工場を建てる。
1864年
- ヘンリー・ワイルマン死去。ワイルマンの子息ジェイムスとチャールズに陶器会社は引き継がれる。1870年チャールズ退職。
1872年(明治5)
- 会社名をフォリーチャイナワークスからワイルマン(Wileman
& Co.)に改名。10年間ワイルマンで営業として働いていたジョセフ・シェリーがジェイムス・ワイルマンの共同経営者となる。
1881年(明治14)
- ジョセフ・シェリーの子息パーシー・シェリーが会社に加わる。ワイルマンが去った1884年以降は会社はシェリー一族による経営となる。パーシー・シェリーは商品をより高級化するために高品質に改良し、企業としてもロンドンにショールームを開き、アメリカやオーストラリアに代理店を設置、経営拡大につとめた。この年「スクウェアー」シェイプが紹介される。
1896年(明治29)

- ジョセフ・シェリー死去。パーシー・シェリーは続けて会社経営につとめるとともに、ミントンやウェッジウッドで仕事をしてきた有名なデザイナーで知られていたフレデリック・リードを起用している。その時にはとても人気のあるデザインそして長期間製造された「デインティ」をデザインしたローランド・モリス、そして風景画家のミックルライトも起用していた。(右の写真はミックルライトによるもの) パーシー・シェリーは雇用面においても鉛による害や塵埃で肺疾患になるのが日常茶飯事であった雇用者に対して、補償をしたり職場での環境改善に力を尽くした。
1899年にはデザイナーは20名、絵付け職人200名を雇用していた。右上の光景は陶磁器を磨く仕事場の様子で塵埃を放出するための空気洗浄システムが描かれている。これはその当時の政府工場調査官による報告書からの絵。
1905年(明治39)
- ドルトンのウォルター・スレイターがリードに代わりアートダイレクターになる。この年「アンティーク」シェイプが紹介される。
1910年(明治43)
- 商標名として「Foley
China」の登録ができなかった。それはE.Brain
& Co.Ltd.が既に使用していたためその代わりとして裏印に「Shelley」を使用し始める。パーシー・シェリーの3人の子息とウォルター・スレイターの子息が会社経営に加わる。
1925年(大正14)
- 会社名が「ワイルマン」から「シェリー」に改名。いまでは高級陶磁器製造会社として確立。有名を馳せる。1926年には「クィーンアン」シェイプが紹介される。
1929年(昭和4)
- パーシー・シェリーが職を退き3人の子息が経営者となる。1930年代初期にはシェリー製品の内でも特によく知られた「ヴォーグ」(1930)「モード」(1930)「イブ」(1932)「リージェント」(1932)シェイプが紹介された。
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